引越し前の害虫対策として絶大な信頼を得ているバルサンですが専門的な視点からそのメカニズムを分析すると必ずしも万能な解決策ではなく状況によっては「必要ない」と言えるだけの科学的な根拠が存在します。燻煙剤の最大の弱点はその「到達力」の物理的な限界です。煙や霧は空気の流れに乗って拡散しますが密閉された空間であっても家具の裏の密着した部分や床板の下、壁紙の剥がれ目といった数ミクロンの隙間までは浸透しにくい性質があります。ゴキブリなどの害虫は危険を感じるとより深く狭い隙間へと逃げ込む習性(負の走光性と接触走性)を持っており煙が充満し始めると彼らは薬剤の届かない安全地帯へと避難してやり過ごす可能性があります。最悪の場合、苦し紛れに建物の深部や隣人の部屋へと逃げ込み一時的に姿を消すだけでほとぼりが冷めた頃に戻ってくるという「追い出し効果」にしかならないこともあります。また近年のゴキブリの中にはピレスロイド系の殺虫剤に対して抵抗性(耐性)を持つ「スーパーゴキブリ」と呼ばれる個体群が出現しており従来の燻煙剤では死なないどころか興奮して暴れ回るだけで終わるケースも報告されています。さらに前述の通り卵鞘には薬剤が全く効かないため入居前に一度焚いただけでは卵から孵化する次世代を阻止することはできず二週間後にもう一度焚かなければ完全駆除にはなりません。しかし家具が入った後に二回目のバルサンを焚くことは現実的には非常に困難です。このように「一回焚けば全滅して安心」というイメージと実際の効果には乖離があり不完全な駆除にコストと手間をかけるくらいなら最初から侵入経路を物理的に塞ぐコーキング処理や残留性の高い薬剤を通り道に散布するなどの予防措置にリソースを割く方が対費用効果が高いという考え方は理にかなっています。バルサンはあくまで「見えている敵と浅い場所にいる敵」を減らすための手段であり根絶を保証する魔法ではないことを理解した上で導入を検討すべきです。